慢性疲労症候群(CFS)との付き合い方

慢性疲労症候群(CFS)のわたしが日常生活を送る上で、その徒然な生活やふと思うことを書き記すブログです。

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新聞読み

5月の連休のある日。窓から見える五月晴れの空を見ながら、「いい天気だなー。みんな休んでいるのにわたしは何しているんだろう。ほかにやりたいことがあるのになー」。

ちょっと気を抜いた瞬間だった。旗日ぐらい休もうかなと思ったが、思い直した。下手に一日のルーチンを変えると、体調を崩す結果になるからだ。

わたしは最近一日のルーチンを変えた。朝の新聞読みをやめた。

以前は朝起きてすぐに1時間新聞を読んでいたのだが、これが問題だった。新聞を読むといっても、コラムと社説しか読まない。いや、正確にはこれしか読めなかったのである。何度読んでも理解できず、ほとんど記憶に残らない。見事に忘れるのである。

だいぶ前に自分で気づいて、神経内科で知能テストを受けたが、その時の最後のテストで、文章を読んで内容を説明するというものがあった。このとき、わたしは文章を全く読めなかった。軽い記憶症だと言われたが、文章を全く読めないという症状自体が理解できず、大ショックを受けた。

次の日から私の日課に、新聞のコラムを読むことが加わった。最初、読むのが困難だったため、ワープロで文章を打ち込んだ。まだPCがそれほど普及していなかったころである。

3年前までこの日課は続き、最近は本を読めるまでに回復していたのだが、また症状が出始めた。今度は文章自体は読めるので、またタイプしながら読もうと思っていたのだが、最近になって、新たな発見があった。

午前中に1時間かけて新聞を読むと、頭の中がくたくたになって1時間以上の休息が必要になるのだが、午後に読むと30分で苦もなく読めるのである。特に13時過ぎがベストである。

それで、午前中の新聞読みを午後に持ってこられないかと考え、いろいろと試してみたところ、体調を崩してしまった。

ここにきてようやく持ち直し、新たなルーチンにも慣れることができた。そもそも短期間で一気にルーチンを変えようとしたのが誤りだった。やはり、時間をかけて、少しずつ変えていくのが定説だとつくづく思った。
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  1. 2011/08/21(日) 07:54:11|
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翻訳

2月半ばに、『英和翻訳の原理・技法』という本を図書館から借りてきて読んだ。

本を読めるようになったのは確かだが、一日に読めるページ数はまだ少なく、読んでは休憩し、休憩しては読んでという状態だった。

何とか最後まで読んで得た結果は「わたしには無理」という一言に尽きた。

読み手にわかりやすくする「補完訳」なるものは、わたしには脚色のように思われ、国語力の乏しいわたしには絶対無理。そもそもわたしは文学者ではないのだからできるはずがない。

また、この本の中で、「一言一句に傾注しろ」というようなことが書かれていたが、単語を一つずつ辞書で調べるのはどうだろうか。普通の辞書に載っていない単語の意味は、ランダムハウスや大英和辞典で調べればよい、ともある。わたしはそれほど暇ではない。

わたしはプロの翻訳家ではないし、またプロになろうとも思ってもいない。しかし、この本の中で翻訳家の核心にふれる一言があった。「誰のために翻訳するのか?」

これにはさすがにガツンと来た。誰のためかはわかっていたが、読み手のことを考えていなかった。早く情報を伝えたい一心でスピードを優先させてしまった。頭の中でトレードオフが崩れ去った。

慌てて自分の翻訳した文章を読んでみた。顔から火が出る思いだった。本当に、穴があったら入りたい。自分で読んでいて意味不明。しかも第1章の最初のセンテンスから誤訳していた。

4月に入ってすぐ再翻訳を開始したが、それも先月終わって、今3回目の翻訳をしている。年内中にはすべて完了する予定である。
  1. 2011/08/07(日) 09:00:00|
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